新緑の候




初夏どころではない気温にも見舞われたGWがあっという間に遠ざかり、
街は徐々に次の季節へと移行してゆく。
木々はその梢に散りばめた緑を日に日に色濃くし、
蒼穹の青も深みを増して、真下に煌めく海の藍と競い合うかのよう。
漆黒の帳が降りた夜陰の中ならともかくも、
長くなった昼のうちの明るい中を闇色の衣紋で闊歩するのはさすがに目立ってしまうので、
ある意味、変装用の街着をまとい、本拠を後にする。
かつての幼いころに慢性的な栄養失調状態だった後遺症なのか、
横鬢の髪の先がいつもいつも中途から色が抜けるという変わった風体。
それでなくとも指名手配されていて目立つのはよろしくない身なので、
オフともなればせいぜい音無しの構えで行動することにしているが、
見栄えまではいちいち繕うつもりなぞなく。
結果、存在に気づかれた場合、結構な視線を向けられているのも薄々承知。
奇異な身である、此れもハンデかくらいの把握なのが、

 『…まあ、犯罪組織の人間だからそういう解釈になっちまうんだろうが。』

ついでに言えば、
かつての指導者が余計な方向への感受性に封をしたせいだろうとのおさすがな見解の下、
しょうがない奴だなぁと、現在の上司にあたる中也が苦笑したのは、
言わずもがな、そういう注目を彼へと寄越す顔ぶれ、
妙齢の女性が大半を占めるよになっているからに他ならぬ。
かつては姿さえ闇の中へと埋もれさせるよう意識していたせいもあり、
昼間も路地裏にしか身を置かなんだため、人の視線そのものに触れぬよう構えていた。
だが、立場が上がれば表の場での対応という仕儀も増える、
それに加えて、状況の激変により気持ちの上で落ち着いた余波というものか、
明るいうちでも雑踏の中に立つようになり、
そんな開けたところで友人知己との待ち合わせまでするようになったがための影響で。
私的な時間帯もそういう日常平生に接するようになり。
本人はこそこそする云われもないと、
それもまた倣いとしての身の捌きようとさりげなく在しているるもりらしいが、それでも

 『あの風貌じゃあなぁ。』

最近はそれなりに肉づきもましになって来ており、
戦闘への気骨も持久力も随分と頼もしいそれとなってきている。
それでも一級品の陶貌人形のような、
精緻にして冷ややかという妖麗な美貌をたたえた処は変わらぬ彼なので、
だからこその秋波だというに其処へは勘が働かぬ。
それこそ困ったほどに自覚がないんだからなぁなんて、
他人のことは言えぬ美丈夫な上級幹部が苦笑しているのが現状だとか。
今日も今日とて、先の任務の事後処理やその報告といった書類仕事の身だった上、
早上がりとなったため、約していた待ち合わせ場所へ足を向けていた彼で。
職務から離れていてもそれなりの気構えは忘れない、
どこから怨嗟の刃が降るやもしれぬ身だからという自覚はあるが、
それでもこれから会う相手への想いはそれにも勝るか、
感情を知らぬ能面のようとさえ言われる 鋭利な殺気が似合いの顔容が、
胸のうちに咲く甘やかな想いのくすぐったさに、ついのこととてやわく和むのは否めない。
そんな彼の耳へと届いたのが、進行方向から聞こえてくる屈託のない会話の声で。

 「今時に咲く花に、フクシアというのがあって、」

 テーブルに伏せたベルみたいに下を向いて咲くんです。
 昨日テレビのニュースで扱っていて、貴婦人の耳飾りなんてあだ名があるそうで、
 ベルベット?っていう布で作った鮮やかなリボンに ビーズのゆらゆらする飾りも提げたみたいな、
 そりゃあ綺麗な花だったんで鏡花ちゃんと見惚れてしまいました。

どう言えば伝わるのかなぁというむずがり半分、
疑問形の尻上がりな言い回しがたくさん混じる語りようは何ともいたいけなく。
そんなかあいらしいことを紡ぐ声が、苑内を清涼な空気で満たす木々の向こうから漏れ聞こえ。
聞き覚えのありすぎる声だったし、語る内容も彼ならば有り得るそれと、
男のくせにと呆れるよりも、何とも愛いことよと苦笑を口許に浮かべつつ、
彼らの居るところ、公園のやや奥向きの開けたところ、小さなベンチのある広場へ踏み込めば、

「芥川。」

こちらの登場に気づいたそのまま、わあと弾むようなお声に迎えられたものの、
それへ続いた

「中也さんは?」

期待たっぷりの言いようへ、さすがに呆れて見せる。
端的ながら、何を訊かれているのかまでも重々承知だからこそ、

「そうそういつも同じ任に付くわけではない。」
「え〜?」

でも一緒に居ること多いじゃんと自分の問いかけが決して奇矯ではないと言い張るのへ、
そこまで知ったことじゃあないと冷静寡黙に黙殺したくせに、

「そろそろ帰宅なされるはず。連絡はないのか?」
「え? ホント?」

あれれェ?と、それは気づかなかったと言わんばかり、
ズボンのポケットに電信端末を探る、相変わらずに無邪気な少年で。
銀色に近い白い髪を乗っけた頭がうつむくの、
すぐの真正面に身をかがめていた長身の男性もまた微笑ましそうに見やっており。
やっと取り出した薄い二つ折りの機器、ぱかりと開くとあれこれ確かめ始める拙さよ。
アメジストと琥珀が仲良く馴染んだ 宝石のような瞳を瞬かせて見やった液晶画面に、

「…あ、書簡が来てる。」

ありゃまあ気が付かなかったと、表情豊かな口許をぱかりと開いてから、
ふふーと頬から目許から弛ませてしまう判りやすさ。
嘘や誤魔化しが途轍もなく下手で、思っていることが絵に描いたよに顔に出る困った子。
だがこれでも裏社会の犯罪組織には恐れられてもいるなかなか手ごわい探偵社員。
犯罪組織への対処にと恐れもなく出没する薄暮の武装集団、
“武装探偵社”に属すという看板の恩恵のみならず、
本人の強靱堅牢なタフネスさでも、その名がその筋でじわじわと広まりつつある彼であり。

「じゃあボクはこれで。」

言って、だが立ち上がらぬまま見やったのが、正面に屈みこんだままの太宰へで。
敦の方はベンチに腰かけていたが、
太宰の側はいつもの砂色の長外套の裾が地べたへ着くのを気にもせず、
膝を折ってしゃがみ込んだままでおり。
ようよう見やれば頼もしい両の手を重ねるようにして、
少年の靴の上、足首辺りを包み込むように覆っている。

「もう痛みは取れたのかい?」
「はい、大丈夫です。」

訊きながら浮かすように離れた手の下には、靴下を降ろした下へ白い湿布薬が覗いており、
どうやら仕事中に軽い捻挫でもした彼だったようで。
立ち上がってひょこひょこと足首を曲げ伸ばしして見せ、
次にはトントンと小さく跳ねて大丈夫なのを確認し、はにゃりと笑うと、

「それじゃあ。」

また明日ですねと太宰へ笑いかけつつ、たたたっと軽快に駆け出して。
尻尾のような長ベルトを宙へと舞わせる元気ぶり、
擦れ違う格好になった芥川へも またねと笑って手を振る愛想の良さよ。
中也からの余程に嬉しいお誘いの電信でも来ていたものか、
小鳥が溌剌と羽ばたいてゆくような去りようには一抹の寂しさもなくはなかったが、

「捻挫も治してしまうのですか?」
「んん? ああいや、どうなんだろうね。」

敦が持つ月下獣こと白虎の異能には、
怪我を負ってもその場で損なわれた箇所を回復させる“超回復”という快癒の力も持っており。
切り裂かれようが食いちぎられようが、当人の気魄が満ち満ちておれば
失われた部位が見る見る復活する恐ろしさ、ではあるが。
失われたのが血である場合は貧血状態までは補えなかったり、
病気や疲弊までは面倒見切れなかったはずで。
なので、捻挫は微妙だろうにと訊いた芥川なのへ、
太宰はくすんとやんわり微笑い、

「一応、筋肉の断裂や炎症にあたろうから、補修という格好では治るのだろうけど。」

その程度のことへも異能を使うことはなかろうって、湿布貼って捕まえてたんでねと、
外套の裾をパタパタと払いつつ立ち上がる、
相変わらず包帯まみれで医療班の象徴のような風体したうら若きお師匠様。
ということは、

「太宰さんこそ、そんなことのために異能を使われたのですか?」

彼の持つ異能は言わずと知れた“人間失格”、
他の異能をことごとく無効化してしまうという問答無用な代物だけに、
ああまでしっかと掴まれていたのでは、敦の異能も発現されぬままだったに違いない。
相手へ使うなと言い含めつつ自分は使ってただなんてと、どこか矛盾を感じたらしかったものの、

「そんなこととは心外だな。」

あの子の超回復の濫用はキミとて知っていようし、困ったことよと眉をしかめていただろに。
おやまあと深色の双眸をやや見開いてから、
ひょいと身を倒してこちらへずいと、お顔だけ寄せて来て、

 「しょむない異能を浴びせられたの、解いてやる使いようよりは、
  よほどに有益で意味があるとは思わない?」

 「あ、えとあの、はい、そうデスヨネ…。//////////」

いきなり間近に寄った美麗なお顔だったと同時、
触れるすんでという直近の頬の熱が、同じく自身の頬にて感知され。
どひゃあっとこちらも黒々とした硯石のような双眸を括目し、
総身が固まった黒獣の覇王殿だったりしたから、凄まじい威力であることよ。
グレーのベルト付きティラードジャケットに、
インナーはサマーニットのタイを締めたシャツという、
結構かっちりしたいでたちなのは、
服地が多くないと“羅生門”が発動できないからだろうが、

 “敦くんと会う時は、もっと砕けた恰好もするのだろうにね。”

こんな風に緊張した態度が抜けないのも、まだまだしょうがないのかなぁと、
ちょっぴり惜しいなと思いつつ、

「まま、そこまで考えてやってたわけじゃあないのだけれど。」

くすすと吹き出し、ほら帰ろうよと横鬢の髪をついと摘まんでちょちょいと引っ張る。
そんなスイッチがあったわけじゃあなかろうが、ハッと我に返った青年、
ニコリと目許をたわめて笑った師には、ハイと返事をし何とか緊張もほぐせたようで。

「怪我や病気を診て癒すこと、手当てというだろう?
 あれって手のひらをあてがって体温を感じさせることに、
 ヒーリング効果があるらしいって言われてるんだよ?」

「……。」
「あー、何その顔。私の口八丁が始まったとか思ってない?」

実際、痛いってその痛いところへ咄嗟に手をやるじゃない。
止血って目的もあるのだろうけど、
患部を温めれば治癒も早まると、本能で知ってたからかもしれないという説がある。
それに、痛々しいところへ触れて手当てしてくれるなんて、
少なくはないいたわりの気持ちを持ってくれている人だという
癒しの伝播というのもあろうし、

 「それより私としては、あの体勢でいた私と敦くんだったというに
  キミが欠片ほども嫉妬してないのがちょっと微妙な心持なんだがねぇ。」

 「…太宰さん、息が長くなられましたね。」

一息でそんな長い言い回しを告げられるなんて、僕には到底真似できませんと。
どこまで本気か、いやさ、そんな言を返せるほどには強腰にもなれますよという、
ご案じなさるなという意趣返しか。
仄かに口許ほころばせ、目許たわめた教え子くんだったのへ、

 “〜〜〜〜〜、何なのその余裕。可愛いったらないんだから、もうっ。”

中也に聞かせると馬鹿にされそうだから、明日、社で敦くんに叫んでやろうと。
んんん"っと喉奥詰まらせつつも堅く決意した、
ハナミズキも霞む美貌のお兄さんだったのは言うまでもなかったのであった。




     〜 Fine 〜    18.05.15


 *何だかよく判らない一幕ですいません。
  特に波乱もない日常、通常運転の彼らということで。

  おまけ →